これ以上、

その光景を見ないように、と視線を逆の方向へ向ける。その頬は誰が見ても判るくらいに紅潮しきっていて、汗すら出てきそうな気がしてきた。それだけ、熱い。

数時間前のことだ。ハルカちゃんが僕の家に来て、僕は書類の整理に追われていた。その間彼女は読書をして過ごしていた。
そして僕が作業を終えて彼女の隣に座った。それから間も無くして、肩に重みを感じてふ、と視線を降ろしたそこに、ハルカちゃんは小さな寝息を立てて寝ていたんだ。
その後に時計を見て気付いたんだけど、僕は書類の整理に相当な時間を掛けてしまっていたみたいで、ハルカちゃんは相当暇だったに違いない。それでも、ずっと僕の作業が終わるのを待っていてくれたんだ。(書類には手をつけないで欲しいって言ってあったから、彼女はそれだけは手をつけなかったから)

どうにも動けなくて、早いことで1時間が過ぎた。けど、僕はそれ以上、もう5時間でも、半日でも過ぎたんじゃないかってくらい、長く感じた。彼女が隣に―――しかも無防備に―――寝ている、だけで。

一瞬、邪な感情が宿った。―――彼女を壊したい、という。
そう、壊してしまいたい。めちゃくちゃなくらいに。彼女は、余りに無防備な姿を僕にいつも曝すから、だから壊したくまでなる。僕の我慢の限界もそろそろ来る。

「ハルカちゃん」

紅潮しきった頬、身体に落ち着けと、静まれと念じながら彼女を見て、呼んでみる。小さく身動きはしたが、起きる気配はない。本当に良く寝る子だ。寝る子は育つというし、それは強ち間違いではないかもしれない。

「ハルカちゃん、起きて」

また、呼んでみる。次の声で起きなかったら―――僕は『何か』をするつもりだった。

「ねぇ、ハルカちゃん」

起きて。起きてよ、今すぐ。君が起きないと、僕は狼になってしまうよ。
彼女は、目を覚まさなかった。あぁ、もう、本当に無防備だな。僕が男だって、判ってるんだろうか。手を伸ばして彼女の頬に触れる。それでも、擽ったそうに身を捩るだけなんだ。

それから、ほんの数センチまで距離を縮める。ハルカちゃんが少し動いたら、今にも唇が触れそうなくらいに、近く、近く。それからほんの数秒、コンマだったかもしれない。僕は、彼女の唇に唇を重ねた。くぐもった声が、一瞬聞こえて、それでも僕は離さなかった。否、離したくなかった。このまま閉じ込めておきたかった。

「ん…ッ……っ!!!」

悲鳴にも近い声、だったかもしれない。それが聞こえて、僕は仕方なく唇を離す。すると、目の前には目を丸くしているハルカちゃん。目が醒めたのか。

「…あ、あ、の…」

一瞬起きたその出来事を整理しようとしているのだろう。彼女の視線は僕を見たり真下に落としたり、横に泳がせたり、と様々だ。見ているぶんには面白かった。

「君が余りにも無防備だから、」

食べてしまおうかと、思ったよ。そう僕が言うとハルカちゃんの頬に一瞬で朱が射した。泳がせる視線がついに僕を見なくなった。俯いたままになった。

「ねぇ、」

もう一度、してもいい? そう僕は聞いた。聞いてしまった。
これ以上、踏み込んだら自分自身がどうなるか、判らなかったのに。

「…その、ダイゴ、さん…」
「…何だい?」
「私…、ダイゴさんが、好きです」

顔を上げて、僕の目を見て、彼女は言った。僕のことが好き、だって。こんな嬉しいこと、あっていいのか。
もう、我慢なんて出来ない。それは確信だった、もう僕は僕自身を止められない。そのまま僕はハルカちゃんを押し倒した。

これ以上踏み込ませないで欲しい。そう思っていた数分前の僕。
今はもう、いない。

2007/10/09