数年後のわたしたち

『……わしは引退する』
『そうですか』
『そこでだ、トウコ。お前に次のチャンピオンを頼みたい。実力で言えばわしより上なのは確かなんだ。幾度となくわしに勝利をし、それでもなお、どうしてチャンピオンを引き継ごうとしない』
『……それは』

周りの誰もが知っていた。トウコがどうして旅を続けるのか。それは探している人がいるからだ。
あの日、「サヨナラ」と一言告げてイッシュを去った青年。彼がいたから、ここまで上り詰めたのだろうし、彼がいたから、自分の目的を見失わなかった。

トウコは答えに困ったまま、動きを止める。青年―――Nがイッシュから姿を消して、早いことで2年。もう2年なのだ。その間、トウコはずっとNを探し続けた。イッシュにはいないと判っていても、戻ってくることを信じて探し続けた。
だが、彼は戻ってこなかったのだ。この2年、ずっと。

七賢者を探し出して、国際警察のハンサムに言われた言葉を思い出す。彼は遠い地方にいる。イッシュにいないことは確かだった。だから待ち続けようと誓った。
でも、もう2年だ。このチャンピオンの席で彼を待ち続けるのもいいかもしれない。

そうして、トウコはチャンピオンを引き継ぐことになった。それが、5年前の話だ。

○ ○ ○

かつん、かつん、とヒールの音を鳴らして、煌めく床を歩く。旅をしていたころに比べれば、幾分も女性らしくなった服装をし、かつての英雄と謂われた少女は、17歳という年齢を迎え女性に変わろうとしていた。

「……やっぱり、待つべきじゃなかったのかな」

トウコは足を止め、神殿を模倣したチャンピオン専用の館の入口にある階段に座り込む。

この5年間、挑戦者はあれど誰も彼女を越えることができなかった。唯一同等といえる能力の所持者がチェレンで、彼とはチャンピオンとしてでなく、友人として戦う。つまり、彼は殿堂入りをしようとは思っていないのだ。
ただ強さを追い求めていた昔の彼とは違う。大切なものを守るために、強さを求める。だから、殿堂入りを求めない。そのせいもあって、トウコはチャンピオンとして君臨し続けている。

かつ、こつ、と足音がする。それは聞き慣れた足音だ。階段に座り込んでいるこの姿を見たら、彼はまた呆れるだろう。

「…トウコ、君ってやつは」
「外の空気が吸いたくなったのよ」
「…まったく」

溜息を吐きだしながら、眼鏡の位置を直す。そんな仕草も、ずっと昔から知っている。大切な幼馴染で、唯一のライバル、チェレン。

「今日はどうしたの?」
「ベルと博士から差し入れ。ちゃんと食事してるのかって心配してたぞ」
「ああ、連絡してないからね…ライブキャスターも放っといてる日多いし。で、チェレンがパイプ役になっちゃってるわけか」
「そうだ。大体君は」
「もう、言われなくても判ってるわよ。食事はちゃんとしてるし、お風呂にも入ってる。たまに抜け出してヒウンアイス買いに行ってるけどそれぐらいいいでしょ」
「……食事を取っているならいいけど。チャンピオンなんだからしっかりしろよ」

なんだかんだ言いながら、心配してくれる幼馴染。彼に助けられている面は多いな、と苦笑いする。ここ数年、トウコがチャンピオンとしてこの地に留まっている間に奔走してくれていたというのは、シキミから聞いた話だ。
それを、絶対に本人に言わない。それがチェレンらしいと笑みがこぼれる。その笑いに対して、チェレンの顔が怪訝そうになる。行き成り笑いだせば誰でも怪しむだろう。

「ごめんごめん、おかしくて笑ったわけじゃないの」
「じゃあ何故」
「……シキミさんから聞いたの。チェレンが私のために奔走してくれてたってこと。あ、口止めされてたんだけど言っちゃった」
「っ…シキミさん知ってたのか」
「うん。ありがとう、チェレン。私、チェレンがいなかったらとっくに潰れてたよ、きっと…」
「…トウコ」
「アデクさんが背負ってたチャンピオンっていう肩書。これの重さを判っていなかった。判っているつもりだったんだなって思って。あ、今は勿論理解して全うしてるわよ」

はにかんで答える。
チャンピオンという職がどれだけ重たいものなのか、今は理解している。その重圧に押しつぶされそうに思う日もあるが、一度引き受けたものだ。次の挑戦者が現れればまた、戦う。イッシュのチャンピオンとして。

「そうだ、君に言い忘れていたんだけど」
「うん?」
「僕、博士になることにしたんだ」
「えええ!? チェレンが博士!?」
「……そんなに驚くことか?」

行き成りそんなことを言われるとは思っていなかった。強さを求めていた彼が、どうして博士になろうとおもったのだろう。
その疑問を言おうかとしていると、チェレンが口を開いた。

「ポケモンの性格が強さに影響するのかとか、どうして色違いといわれるポケモンが生まれるのかとか、色々な事に興味を持ち始めてね。それに、アララギ博士のように新しいトレーナーを送り出して、そのトレーナーを支えてやりたいとも思ったんだ。ほら、僕はおせっかいじゃないか。性に合っているようにも思えてね」
「確かにおせっかいよね。それ自分で言っちゃっていいの?」
「自認はしているよ。特に、君に対してはかなりおせっかいみたいだし」

ふふ、と笑いながら言う。こんなことを言うような人だっただろうか、と考え込んでしまう。だが、それをいったらトウコもそうだ。旅を始めた当初は好奇心から何でも求めた。強さも、知識も。それが、今となってはどちらも求めなくなった。ただチャンピオンとしての任を全うしようとしている。

年月が過ぎて、人は変化していくものだろうか。
そうだ、変化するものだ。Nもきっと、この7年で変わっただろう。別の地方で生きているのだろうけれど、会いたい。変わっていてもいい。彼に会いたい。

「……ねえ、トウコ。君は…まだ」
「………久し振りに、聞くのね。彼のこと」
「生きているのは確かだが、ここに戻ってこない。それなのに、君は彼を…Nを待ち続けるのか? もう7年も待ったんだぞ?」
「うん、そうだね。7年も待った。でも彼は来ない。別の地方にいることは判ってるよ。探しに行こうとしないのは単に私が臆病なだけだし、彼が戻ってこないのは理由があるからなんだと思うし…」
「………それでも、待つのか」

その言葉が、重く突き刺さる。まだ待つのか、もうやめたらどうだ、そう言っているように聞こえた。確かに、7年も音沙汰がないのに待ち続けるのはバカバカしく思うのかもしれない。

沈んだ顔をしていると、チェレンの手が肩に触れた。幼馴染として自然と、次第に距離を置いていたから、肩に触れられたのなんて暫く振りのような気がした。
7年前に比べたら、彼も男性らしくなったのだなと見ていて思う。肩幅も、声音も。あの頃の彼とは違うのだ。

ふ、と視線を上げて、絡ませる。見つめた彼の目は寂しそうだった。

「…トウコ、僕は、ずっと…君のことを」
「…言わないで」
「いや、言うよ。Nに譲ってやろうと思っていたけど、もう待っていられないんだ、トウコ。僕は、君が好きだ。ずっと昔から好きなんだ。僕じゃダメなのか?」
「………」

答えに困った。いや、気持ちが揺らいでいたからかもしれない。Nに対しての気持ち。それが揺らぎつつあって、諦めたほうがいいのではないかと無意識に思っていたからかもしれない。
だから、チェレンの申し出に対して、言葉に困った。

「僕はNのように急にいなくなったりしない。僕は君のことをよく判ってる。Nが消えてしまってからだって、幾度となく僕は君を見てきたよ。落ち込んだ君も、喜んだ君も。Nが生きているのが判ってから、君はとても嬉しそうだったよね。でも、次第に君から笑顔が消えていった。本当は気付いていたんだろ、Nとはもう会えないかもしれないって」

ぐさり、とナイフが刺さる感覚。本当に彼は、7年間ずっとトウコのことを見てきたのだ。時には気晴らしの相手になったり、時には放っておいてくれたり。

「……。チェレンが私のことをよく判ってるのは、知ってる。判っているから何も聞かないで2年間旅をさせてくれた。5年間、挑戦者としてでなく友人としてバトルをしに来てくれた。私の気を紛らわすために来てくれた。今日だってそう、ベルや博士から届け物があったって来てくれたけど、様子を見に来てくれたんでしょ? 1つ、私がNのことをどうでも良くなっている、1つ、私がまだNのことを想ってる。どっちだろうかって」
「……君も、僕のことは判ってるんだろ。僕はあまり我慢が得意な方じゃない。Nのことは本当に長く待ったよ、君が幸せなら良いと思ってね。でも、結果としてNは7年も音沙汰なし。別の地方にいることは確認されたけど、正確な場所は判らないんだ。1人で旅を楽しんでいるかもしれないし、他の誰かと旅をしているかもしれない。君のことを、忘れている可能性だってあるんだ」
「判ってる…判ってるよ! でも…、私は!」

力強く言い放とうとして、泳がせていた視線をチェレンに向ける。するとそこには、力強い眼差しが至近距離にあって、トウコは一瞬言葉を飲み込んだ。

「それでも、君はNのことが好き? 7年も君に連絡をしないで、不安にさせておいて。そんな奴でも、君は好きなのか?!」
「…ッ!!!」

すきだよ、彼のこと。普通なら、そう返していた。でも、今日は違った。その言葉が返せない。トウコは自分の中に迷いがあると気付いた。
本当に彼はトウコのことを忘れて、旅をしているのかもしれない。いいや、7年も連絡がないのだ。もう忘れられているだろう。
いや、どうだろう。まだ彼は忘れてなどいないのではないだろうか。期待してもいいんじゃないだろうか。7年なんて彼が人間として成長するのに短い期間なのではないだろうか。

「…わた、しは……」
「……、これ、アララギ博士からいかり饅頭。ベルからは回復の薬。それじゃ」
「チェレン……ッ!」

それぞれの差し入れをトウコに手渡し、チェレンは背を向けて階段を降りてゆく。その背に彼の名前を呼んでも、彼は振り返らなかった。

「…ごめん…、ごめんね、チェレン…」

答えを言わずとも、彼は判ったのだろう。だから、用件だけ済ませて、背を向けた。トウコが迷っていることを判っていて、言おうと決断したのだろう。その決断力に、トウコは茫然と立ち尽くした。

普段決断の速い自分が、どうしてこんなにも遅く、決断を鈍らせているのだろうか。彼と会話していて、昔自分が持っていたあの決断力がどこへ消えたのか気付かされた。
王様に恋をしてから、決断力は鈍る一方だ。

「ああ…、雨、かなっ…こんなにっ…晴れてるのに…っ……ね…!」

ごめんなさい、決断できなくて。
ごめんなさい、貴方を探しに行かなくて。

結局のところ、私は臆病なだけなのだ。

2010/10/23
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